「科学≒事実≒正しい≒価値がある」? 
2 月 26th,
2008
2008
- 漬物倉庫(嘘): 『批判を批判する人』を整理
- http://blogs.dion.ne.jp/beta_reverse/archives/6838834.html
- 「水伝批判」があるときに、「水伝を信じている『私』への人格批判」みたいに受け止めちゃう思考について、みたいな話。
良い記事ですよ。
↑に絡んでエントリ書こうと思ってたけどなんか無理っぽいので思考の断片を整理せず吐き出す。
(タイトルは別に引用とかじゃないですよー)
要するに「事実は究極のコモディティ」であってね?
「事実性」にフォーカスして発言するなら、それは原理的には「私らしさ」とは根本的に相容れない筈なのですよ。
ほら科学の要件で「再現性がある≒誰がやっても同じ結果が得られる」てのがあるじゃん。それ。
「私だけの」があるならその時点で逆立ちしても科学じゃないのですよ。
で、問題なのは「科学を自己肯定の材料に使う」ことなんだけど、更に一歩引くと「科学≒事実≒正しい≒価値がある⇔それ以外は価値がない」という意識が背景にある気がするけどどうかな、と。
だから「私(の意識)」を「価値がありそうなもの」に無理やり接続しにいって結果として無茶なロジックを振り回すことになる。
「何でもかんでも科学で割り切れると思うな」と云っている割に「科学の価値」を絶対視しているような雰囲気。(全員ではないです。「そういう人もいる」レベルで)
……でもさぁ、やっぱ「正しさ(に類するもの)」の後ろ楯がないと肯定できない「自己」ってのは、脆弱だよねぇ……。
(整理してないしオチもないです ><)


