面白そうな本が出ていたので回収。
まだ前書きしか読んでないが。
……まず間違いなく404で取り上げられるだろうから、書評が見たい人はそれ待てばいいんじゃないかと思う。
この上8/12、この下8/19。
取り上げられる気配がないので自分で感想を書いてみる。
なお、前半6割ぐらいはキッチリ読んで、そこから先は節レベルの拾い読み⇒設問に興味持ったら全部読み、なんでその点は悪しからず。(5章は全部読んだ)
面白そうな本が出ていたので回収。
まだ前書きしか読んでないが。
……まず間違いなく404で取り上げられるだろうから、書評が見たい人はそれ待てばいいんじゃないかと思う。
この上8/12、この下8/19。
取り上げられる気配がないので自分で感想を書いてみる。
なお、前半6割ぐらいはキッチリ読んで、そこから先は節レベルの拾い読み⇒設問に興味持ったら全部読み、なんでその点は悪しからず。(5章は全部読んだ)
「入門」の方を2/27に読み終えてるんで会社の行き帰り5日分で読了って計算でしょうか。……あ、第3部の「Wiki作成実践編」はものっそ斜め読みで済ましてますけど。
大雑把に結論を述べますと(あ、「本として」です)、「先に読んだのが入門Haskellで良かったなぁ」という感じ。
や、「マイナープログラム言語入門書籍」としての出来は本作(以下「ふつう」)の方が100万倍良いと思いますよ?
ますが、「『ふつう』の方が出来が良いなら『ふつう』だけ読めば良いじゃん」と思って「ふつう」だけ読むと、多分「Haskellの書き方はなんとなくわかったけど、『で?』」って感じになっちゃうんじゃないかなーと思います。
こういう感覚はdankogaiの人も持ったようです。
入門(06/04/18)/ふつう(06/06/01)の感想を見てみると判るかと思いますが、最初は「入門」の方にキレ気味のレビューを書いておいて、で「ふつう」を読んでみて「やべ、言い過ぎた」と思ってフォローが入るという展開。
それはつまり、「入門」はdankogaiのブロガー領域を突破してgeek圏まで突入したが故にケチョンケチョンにされたけど、「ふつう」はブロガー領域でキッチリ処理しきれたということなのだろうな、と。
「何かすごいものを体験して、その体験をつたえなきゃ」という熱情が伝わってくる
って云ってる人が居ますが、そう、「入門」は熱意が空回りするほど先走ってるのが感じられたのね。
俺もそう思ったから「ふつう」を手に取ることになった訳で。
で、判り易さその他「入門書」に期待される一般的な要素では全般的に「ふつう」が勝っているので、「入門」で興味を持って「ふつう」で整理する、というのは流れ的に自然なのね。
逆はきっと無理。
「ふつう」で最初に「ふーん、で?」って印象を持ってしまったら、「入門」はきっと「偏見の入り混じった読みにくいだけの劣化『ふつう』」になってしまうと思います。
しばらくしたら、また「入門」を読み返してみようかなー、とか思いました。
……何の感想エントリなんだろなw (「入門」→「ふつう」の順で読むと「ふつう」の後に「入門」を語りたくなるんだって!)
ローカル鯖の設定が今アレなもんだからAmazonのリンク作れないということに気付いたよ! ……ので見た目が寂しいよ。
まー、100パー売れやしないので良いっちゃ良いのだが。
ということで入門Haskell。
やー、物凄いよ。きっと。良くわかんないけど。本が凄いというかHaskellが凄い。例えていうなら読了後に勢いで「ふつうのHaskellプログラミング」も買っちゃったぐらい凄い。
プログラム言語というと、「Cが読み書きできれば大抵なんでも使える」とか云うじゃないすか。
実際、相当程度はそうだと思うのよ。オブジェクト指向の代名詞(でもないか)のjavaなんかも、継承とかインタフェースとか使わなくてもプログラム書けるわけで。
Haskell無理ですw
Haskell的な思考というのかな──RubyもPythonもLispも知らんので知ってるとまた違うかもですが──、が理解できてないと「Hello World!」でいっぱいいっぱいになります。iを1~10まで足し合わせる(答えは55)処理が書けません。ガチで。
いや「>>=」だの「<-」だの「->」だのの演算子が飛び交うってのは(まー腰は引けるけれども)本質的ではなくてですね、値そのものじゃなくて延々と処理を追っていくような作り、であり思想、というのが上手く云えないがちょっと背筋に電流流れる感じの衝撃というかパラダイム転回というか。(何いってんだか自分で良く判らん)
ただのプログラム言語では全くないですよ。哲学というか思想の体系。
javaとのアナロジーで云うと、javaは「それでもCっぽく書ける」のですが、Haskellは「Haskell的な思考が出来ないと全く何も出来ない」ところがあります。で、この「Haskell的な思考」が強烈。
本一冊読んだだけの俄かハスケラーですが、多分「極めると『日常会話と同じリズムでコーディングが出来る』」んじゃないかと思います。(駄目だ、端折りすぎで絶対わかんないわこの説明)
プログラム言語だと思わず、lifehackとか思想書の類だと思って手に取るのが正しいんじゃないでしょうか。
……それはそれとして何でAWSコケるかなー? allow_url_fopenもOnだしなー……。
くそぼん きけん
よむかち ないで
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」 ―――――――――――――‐┬┘ | ____.____ | | | | | | | ∧_∧ | | | |( ´∀`)つ ミ | | |/ ⊃ ノ | |  ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄ | ミ□
一々内容に触れる必要は無い。その価値はない。
ウェブ進化論を兎に角批判すればそれで良いという態度なもんだから態度が不安定だし、それだけならまだ生暖かく見守れなくも無いですが、事実誤認とか単なる無知とか頻出です。本当に酷い。
……宮脇睦という作者名はネガティブな意味で覚えておく必要はあるかも知れませんが。
今日買って今読んでます。
俺的にはこういうの見たかったんだよ、という本。平易で読み易くて、でも濃げ。
……なのですが、業務でDB設計したことがないのでツッコミどころとか良く判りません。 ><
他に振れる人も居ないのでこちらの方に
気が向いたらでいいので、ええ。
7章あるうちの5章目途中なんですけど(明日中に読み終わるかどうか微妙なラインなんですけど)、早く何か云わなきゃならない気が凄くする本なので取り上げてしまいます。
グレイトです。Great!!
そもそも「アンビエント・ファインダビリティ」って何よ、って思うでしょうな?
つまりそれはだ、(IPv6環境化において)「
WEB進化論は恣意的・政治的な点が俺的には非常に引っかかるものがありました。
で、本書、既に実用に供されている技術(RFIDタグその他)をベースにして、「このような技術が登場して世界はこう/ああ変わるので、人もこう/ああ対応していかなきゃならんのでしょうね」ぐらいの態度で、「今そこにある未来」をベースに「更なる未来」を考え想像し居住いを正すとでも形容すべき態度が非常にエキサイティングです。(具体的には略。多すぎ)
とにかく技術ベース、とにかく現実ベース、過剰な期待や過剰な不安を煽ることはせず、「何か凄いことになりそうな未来」へのワクワクしつつ冷静な眼差しがなんというかクール。触れられる技術やサービスは、机上の空論ではなく、まさに今
「みんな」が読んで面白い本ではないです。多分。
WEB屋さんとかでも、直接役に立つかというと、割と疑問。
でも、技術バカとか、あとエンタメ業界の人(特にSF作家)は、是非読むべきです。飯の種というか、恥をかかないために。
知らなかったら覚えとけ、……未来は結構凄いぞ。
あらかじめ断っておくと、どんどん脱線します。最終的に彼岸の彼方まで思考がすっ飛んでいきます。最後までついていこうとすると体力使うかも、です。(本ではなくこのエントリが、です)
ええと、科学哲学の本です。科学哲学というのは「科学とは何か」とか考える分野です、……よね?
「科学的に正しい説」とは「その時点において最も反論されていない仮説」である、ということを知らなかったり納得できなかったりする人は読まねばならない(must)と思います。
でも「科学哲学」というジャンルではなくて、哲学の本として、俺は読んだくさいです。(それがドツボの始まりなんですけど!)
例えば。
本書1章で、プトレマイオスの天動説とコペルニクスの地動説に触れています。大雑把には「当時正しかった前者に対して異議を唱えた後者は当時は激しく批判された。また、後者の主張そのものも今日の視点からは明らかな誤りを指摘することが出来る」といった内容。
それが示唆することは何か。(4章の章題「仮説と真理は切ない関係」が直球です)
「科学的に正しい」とは「次の瞬間にひっくり返される可能性を受け入れること」なので、「真理に辿り着いた」と云った瞬間にそれは科学ではなくなってしまう。
云い方を変えると、科学的な手法は「真理に到達できないことが約束されている」。また「真理であるかのように振舞うこと」のみが許されている(でも「真理だ」と云うことは出来ない)、ということ。
ということは、科学的な手法において可能なのは、「真理であるということにしておいて受け入れる/信じる」ということでしかない。受け入れる/信じるための根拠は、(直接には)ない。十分な状況証拠を積み重ねて、「これでもう十分だ」となったところで、(勝手に)受け入れる/信じるしかない。
……やめてくれよそーゆーの。泣いちゃう。
そしてこの本は、「この本のタイトルは、なぜ『99.9%』なのでしょうか」という問いで結ばれます。回答(説明)等は提示されません。が/ので、俺の回答。
「我思う、故に我在り」、それが残りの0.1%。
そこまでは退行しないとダメかなと。
科学的な態度を採用する限りにおいて、「ある言説が(最終的に)正しいと示すこと」は誰にも出来ません。「○○だから正しい→何故?」と、事実上無限に問うことが可能です。そうやって延々退行していって踏みとどまったのが、(俺の場合は)「我在り」の一線だった、ということです。
そしてここから「ともあれ俺は今ここに存在し、そう考えている。だから『俺が到達した結論』は正しいということにしておく」と進みます。進みますというか進まざるを得ません。
現に正しいかどうかなんざ知りゃしませんが(というか多分間違っているのですが)、「最終的な意味での『正しさ』」なんて、(俺が俺に)期待してもしょうがない。
「間違っていることが確認できたら改める、間違っていることが確認できないのなら『間違っていることを念頭に置きつつそれでも信じる』、そういう態度で前へ進む」か、または「誤り、否定されることに恐怖して立ち尽くす」しかない。
怖えぇよ、正直。
目の前に崖下が見えないぐらいの断崖があって幅1メートルぐらいのボロい吊り橋が架かってて、吊り橋は霧の中に吸い込まれて消えて対岸は見えない、でも進むしかない、心理的にはそんなイメージ。
進まなくても良いじゃん、てのは確かにある。どうでもいい話については、当事者で勝手にやってもらったら結果に黙って乗ってきますよ、そう思う。
でも、面白いこととか楽しいこととか、「自分が関心を持っているそれ」については、俺の期待することは俺が表明するしかなない。何処かの誰かは決して俺を代弁してくれない。
……損な性分だなぁ、と。
以前「目次読んだだけで既に泣きそう」って書いたのも、本の内容以前にこういうことがぶゎーっと連想されてしまったから、なのですよね。
ちなみにあの、このテーマをガチで描くとThe world is mine、ユルく描くと機工魔術士になります。(大真面目です)
以下おまけ。
もっと云えば、科学というのは「手段」でしかないと。(当たり前だったか??)
何の手段かというと「何かを信じるための手段」。
お手軽に「何か」を信じられる人は、「目の前の人がそう云った」「目の前のWEBサイトにそう書いてある」というだけで信じることが出来るし、普通の人は「マスコミが報道したから」信じることが出来るし、疑り深くなってくると「読売は○○朝日は□□2chは△△」とやってから信じるし、行き着くところまで行くと「外部からもたらされた情報は、認識はするが信じない」と。科学(「科学的である」ということ)も、その一つのパターンでしかないんだと思います。
後者の方がより良いのか、というとさてどうなんでしょうね。目の前のもの全部信じてそれが巧く回るんなら、それはそれで上等なんじゃねーのかなーとも思います。(段階が進むと戻れなくなるんだよね……)
とりあえずここの2/11~2/25の感想には一通り目を通しました。……多いよ。
あと、この本語る上ではこの読書メモは外せません。というかまだこの本読んでない人は、先にこのメモを読んでざっくりと問題意識を持ってから読むと良いでしょう。それが効率的です、アジャイルです。
この本の内容を一言で云うと
・(細かい説明はしないけど)WEB2.0という世界がネット上で展開されようとしているよ
・Googleって凄いんだよ
・それらは既存メディアと拮抗しあるいは凌いでいくかも知れないよ
というところでしょうか。それらについて特に嘘やツッコミ所はないと思います。
……確認しますよ、「まぁそんなもんだろ」という現象の説明です。で、それ以上でも以下でもない。
梅田氏はこの件ではアジる側なので当然といえば当然なのですが、触れて当然のある点について全く触れていません。……いや、それさえも試金石なのかも知れませんが。(この点については後半で戻ってきます。)
ところでちょっとWEB2.0って何か考えてみてくれ。そいつをどう思う?
はいはいマジ度の高い話で無理にボケない。
……えーと、WEB2.0とは何かという説明の中でこの記事の重要度は高いようですが、落ち着けよ高く評価している人達。(今見たら669人! ちなみに後半は249人なので、ざっくり400人は「興味は持ったが実際には読まない」という踊り子ちゃんであるご様子。「まーいーけどさ」としか云いようがないよ!)
凄く端的に云うと、「WEB2.0とは、WEB1.0の次にくるもの」です。……あ、「説明になってない」って思いました? でもこの点を外すと話題が無駄に拡散しちゃうし、そして、この点を外しては話が先に進まない、そう思ってこの表現をしたんだ。
で、はい、「WEB1.0の次にくるもの」だとして、じゃあ「WEB1.0って何よ?」って話になりますよね? ご説明いたしましょう。(ポワトリン? >反応した人はいい歳。)
WEB1.0は、リアルとネットの協業、コラボレーション、クリックアンドモルタル、です。「シナジー効果」なんて単語が出てきたら1.0です。
という風に理解しておけば、2.0の理解は容易でしょう? 「WEBの上だけでサービスが完結するそれ」が、2.0です。Googleに「モノ」の臭いがしますか?
ああ、また別の切り口もあります。
回線事業者やプロバイダ等のインフラ系も1.0です。コンテンツホルダーは……微妙かな。やりようによって1.0にも2.0にも、あるいは0.0にもなるでしょう。
この切り口でのWEB2.0とは何か。ええと、「WEBをどう広めようか」と思考するのではなく「既に十分に広まったWEBをどう利用しようか」という行動原理を持っているか否か、です。初めにWEBありき。
WEBのないところにGoogleの発生余地はないでしょう? その意味で、検索事業者がWEB2.0の先頭を突っ走ってるのは、物凄く当然の帰結なのさね。
具体例を。
例えば2chとmixiが1.0と2.0だ、という切り口があります。
2chの匿名世界では責任を回避しやすいという利点がありますが、一方で匿名であるがゆえに「価値を蓄積できない」という致命的な弱点があるのです。蓄積できない≒先行者利益がない、ですからね、ひろゆきみたいなある種の世捨て人ならともかく、営利企業が業として出来るかというと(いろんな意味で)リスキーすぎる訳です。
wikipediaみたいなのを狙って作れりゃ楽なんでしょけどね、そうもいかない訳で、サービス提供側も考える。「そもそも無形の空間であるWEB上に、どうやって『価値を蓄積』する?」「人に紐付けするってのはどうだろう?」で出来上がったのが1ch.tv、と。……おや?
無駄にボケすぎて話が錯綜したので中間まとめですが、「WEB2.0の勘所は、無形の空間であるWEB上に、如何にして価値を蓄積するかだ」ということ、覚えておいてください。
そして話はウェブ進化論の感想へと復帰します。
……復帰しますが、1.0と2.0の話を引きずります。あと、「触れて当然のある点」に触れます。(念のため断っておきますがエロい意味では全くありません。)
この本では「WEBというメディアが既存メディアによって作られた秩序を破壊する」ことには触れています。が、そこまで。うん、いや、まぁ、良いんだけどね。頭に浮かんだエントリはこれよ。
さてさて、WEB2.0がWEB1.0の次に来るものだ、としました。まぁ「ウェブversion2」ですわね。
で問題です。Windows98のインストールされたPCがあるとします。手元には正規のWindowsXPのディスクがあるとします。私はWindowsXPを使えるようになるでしょうか? 答え、やってみないと判りません。そのまんまだとスペック厳しいんじゃないの? とは思いますけど。
WEB2.0にもまーったく同じことが云えると思うんですけど如何でしょう。
……まだるっこしいですね、直截にいきます。「今ネットを利用している人はほぼ間違いなくWEB1.0の水準には達していると思うけれど、WEB2.0の水準にあるのはその全員じゃないぞ」ということです。呑気に褒めてるけどあんたそのままだと置いてかれるって自覚ある? と。
0.0と1.0の差は判り易かった。物理的なネットワーク接続として視認できたから。
1.0と2.0は、パッと見で即はたぶん判らない。でも、例えばこの記事であるように、明らかにネット住民にも格差が出来つつあります。「良いの?」と。(いや良いも悪いもないんですけどねぶっちゃけ。)
……まぁ、なんだ、みんながんばれ。(ごめん適当な締めが浮かばなかった。)
最後に、冒頭のはてなの感想の中から、(「素晴らしい」一点張りとかじゃなく)ある程度面白かったのを張っておきます。(普段の記事作成スクリプト流用したのでやや冗長ですが……。)