第一ヒント:人としての誇り、尊厳、生き様、そんなものとは関係ありません。
第二ヒント:箸。
第三ヒント:そのものズバリがこのエントリ中に書いてあります。
何でかなー……。
無くすタイミングが全然わかんないですよ。(つд`)
第一ヒント:人としての誇り、尊厳、生き様、そんなものとは関係ありません。
第二ヒント:箸。
第三ヒント:そのものズバリがこのエントリ中に書いてあります。
何でかなー……。
無くすタイミングが全然わかんないですよ。(つд`)
ゲーム脳批判派のやり方はあまり有効ではないとも思っている。
なぜかというと。
から始まる指摘が常に有効な訳ではないとも思います。
なぜかというと。
「森のゲーム脳理論はトンデモだから批判するんだ」という人(特に一般ユーザ)の多くは、「ゲーム脳理論の客観性・科学性」になんて興味が無く、「難癖付けられてゲームすることを制限されることが嫌」なだけだからです。
もし科学者としてそんな大人たちに科学の視点を持ってほしいと考えているのなら、まず「ゲームを子供から取り上げたい」という要求を満たす為の科学的な提案をしなければダメだろう。そして、森教授の学説がトンデモでグダグダなので、それに乗っかって行くと「ほら、ゲーム脳なんて科学的根拠なかったじゃないか。やっぱりゲームしても良いんだ」と子供に反論で逆襲されるよ……と脅して、科学的に冷静な判断をしろと仕向けないと。
科学者がゲーム脳理論を批判する時の態度としては全く正しいのだけど、結論として「ゲーム脳理論は誤りなのでゲームをすることに問題は無い」というものを求めている人は、これには乗れないのですね。(otsune氏がそんなこと100も承知なことは判っていますけれども)
説得するときは、そのターゲットの「欲望」や「嫌悪感」を良く見抜かなければダメだ。人間は聞きたい事しか聞こうとしないし、読みたい物しか読もうとしないものだ。
そゆことですね。
事実誤認とか誤報とか、もっと云うと捏造とか、それらがバレて集中砲火を浴びてもなお「悪かったですごめんなさい」ってあまり云わない彼らの行動様式を「必然・合理的なもの」として読み下してみるよ、という話。
※ ↑朝日新聞という固有名を出していますが、オールドマスコミ(特にテレビと新聞)全般のつもりで書いてます。
・前段
彼らは「何」か、確認。
報道機関か、というと、否です。「コンテンツとして報道も持っている」けど、彼らは「テレビ局」であり「新聞社」で、もっとぶっちゃけると「テレビ屋」であり「新聞屋」だ、と。つまり「需要のあるコンテンツ」を作成し「高い需要に応える≒高い影響力を示す」ことで資金を回収する道を作るビジネス、という理解です。
ここ──「需要」が根底にあること──、基本だけど重要です。
・本題
1 彼らは需要に応えている
Q どんな?
A 「自分で判断するのはコストがかかりすぎるので即乗っかれる結論を提示してくれ」、という需要。
はてなブックマーク的にはこれとかこれとか参照。ズブズブのネット原住民やってると忘れそうになりますが、この需要は(ネット原住民の想像を軽く凌駕する程度には)多いです。(ニュースサイトにサイトが紹介されたときとニュース番組にサイトが紹介されたときの津波の大きさの違い、ですかね。実体験としては知らんけど。)
要求されているのは「正しい」「後々まで有効な」「一貫した」内容ではなくて、「結論として私が即座に採用することが可能な」内容だ、と。(VB的と云ったら判り易い? 「正しい」云々は付随する・そうであれば望ましいことではあるけれど重要度は一段下がっている、という理解。)
であれば、
2 それがバレたので間違いを認め謝罪する
Q どうなる?
A 顧客(視聴者)の期待を裏切ることになる。
ここで云う「顧客の期待」は、「正しい情報を提示してくれるだろう」という期待ではなくて、「乗っかってOKな結論を提示してくれるだろう」という期待。「誤報を認め撤回し謝罪する」と、既にその誤報に乗っかっている人(≒自社贔屓の顧客)にとっては梯子を外されたようなものであり、著しく不安定な状態になることは想像に難くない。自社ユーザに著しく不愉快な思いをさせる行為は企業倫理に照らして望ましくありません。さっきの需要のところの裏返しになりますが、「提示した情報が誤報・捏造である」ということは二次的なもので、「それでも謝罪しない」ことで、少なくとも内向きの対面は保たれる訳です。問題もあったけどゴニョゴニョゴニョつーて時間が経って風化するのを待つというのは、この意味で一応は合理的。
勿論スコープを「自社とその視聴者」から広げた瞬間にこの理屈は不十分になるけど、多分彼らはそんな広いスコープを気にしていない。(スコープの外には自分の影響が及ばない=金にならないから。)
3 ごめんなさいって云わせたい
Q どうすれば?
A 今のやり方が割に合わなくなったらやり方を変えるし、そうでなければ今のやり方が続くのでは。つまり「1」の需要がある限り、彼らは彼らの正義として最後の最後まで謝罪することを避けようとするし、それはそれで一つの見解ではあろう、と。(盗人猛々しいを地でいく個人的には全く感心しない態度ですけど、それで回る世界があるならそれはそれで良いんじゃね、と。)
……てことは要するに、彼らのやり方が変わるということは基本的にない(ただ、対抗馬が増えることで相対的な影響力が結果的に低下するということはあり得る)、ということなのかと思うがどうだろう?(最後それか。)
一応カテゴリとして起こしましたが、このカテゴリに記事を追加するということは多分あんまりないです。(状況次第でジャンルごとに整理することはあるかも。)
ではなく、このエントリがどんどん更新されていくのではないかと思います。ある程度整理できたらフツーに(いわゆるブログっちぃ)記事を書きたいとは思いますが、思ってるだけで終わる可能性は低くない。
今日(06/02/08)時点では
ですが、近いうち(つーか明日にでも)「モヒカン族」「非モテ」も整理する予定。
(非モテ議論は最近見始めたばっかなんでちょっと先になるかもだ。)
あと、ここでリンクを張ったページについては全てローカルに保存してあるので、リンク切れ報告があったらリンク修正/ミラーします。
(02/11)【山形浩生】ライブドアの何がいけなかったの?の記事追加。
メディアリテラシー、情報への態度、具象としてはテレビとネット。
未整理。
猫も杓子もこれ一色ということで俺もライブドアの話題に乗っかってみます。
云うまでもなくライブドアブログの仕様変更に端を発したトラックバック文化問題の話です。それ以外にライブドア関連の話題など一切、微塵もありません。テレビも週刊誌もこの話題で持ちきり!!
はいはい本題本題。
この件に関して恐らく最も参照された記事であろう一番上の「4つの文化圏」の記事は、状況認識としてはそんなもんかな、と思う。……思うが結びの
ここしばらくの記事でも言っているとおり、文化衝突であるならば、それを解決する方法など思い浮かばない。相手に考えを改めるよう強制することなど、とうてい不可能だからである。
とはまた面妖な、とも思う。(だってこれ書いたの松永モヒカン族英明だよ? ……呼び捨て失礼。)
無論(上記エントリ中の表現を借りて)言及リンク文化圏の人間がイコールモヒカン族ということにはならないにしても、その両者を兼ねる人間であれば、淡々と粛々とスパム避けの処置を導入して「以上、それまで」ということになるのではないのかな。「意に沿わないTBを受け入れないこと」が目的で、それが技術的に達成可能であるならば、議論の必要なんか最初からないじゃないか、と。(ソース見た訳じゃないが、多分display:noneするとかname属性に仕込むとかすれば、「リンクはないがフィルタをすり抜ける」TBも打てるとは思う。相手がそこまで手間をかけるなら仕方ない、よね?)
少なくとも「WWWにページを公開してるんだからリンクされたくないとか云うな、嫌ならアクセス制限すれば良い」といった論調でリンクフリーを主張した人間が「トラックバックはフリーじゃない」というのはダブルスタンダードです。(「ダブルスタンダードですが何か」という態度はあり得ると思うが俺的には美しくないので不採用。)
スパム避けの方法を知らないというなら「勉強不足」「調べろ」だし、使用しているブログポータルではその方法が提供されていないのであれば、「(結果として)移転の手間よりスパムが来ることを選んだ」ということになる。少なくとも、TBを送る側は「TB送信」というアクションを起こしたのだから、それに対してどういうアクションをするかの裁量は基本的に受ける側にあるはず。
ひと手間かければ雑音を一切シャットアウトできるのにそれはせず、「その話し合いによっては問題が解決しないことがほぼ約束された議論」には積極的に首を突っ込むというのは、良く判らんね。
目の前に気に入らない状況があるとき、行動すべきは「目の前の状況を気に入らないと思っているあなた」です。OK?
前置きが幾つか。
・正確さよりキャッチーさを優先してるよ。(してるよ!!)
……より適切には、「俺が/お前が認識可能な全てのことは『具体的なこと』だ」、とかそんな感じ。(キモは「認識されること」「認識する俺/お前」を、厳格/明示的/絶対的に区別することです。)
・本エントリ中にて「お前/あなた/俺/私」とかそれに類する単語が出てきた場合、相互に置換可能だと思ってください。
・なんか論理哲学論考な感じがしてきた。
行きます。
・この世には「正義」など存在しない。
・この世には「悪」など存在しない。
・この世には「希望」など存在しない。
・この世には「絶望」など存在しない。
・「トラブル」は発生しない。
・「夢」は叶わない。
あるのは
・俺が「正義」だと認める(何らかの)思想がある。
ある事象を「正義」だと評価する俺が居る。
・俺が「悪」だと認める(何らかの)思想がある。
ある事象を「悪」だと評価する俺が居る。
・俺が「何か」に対して持つ「希望」がある。
ある事象について「希望」する俺が居る。
・俺が「何か」に対して持つ「絶望」がある。
ある事象について「絶望」する俺が居る。
・俺が「何か」をしようとして発生する「トラブル」がある。
ある事象を「トラブルが発生した」と評価する俺が居る。
・俺には「何か」をするという「夢」がある。
ある事象を「夢が叶った」と評価する俺が居る。
以上、まず認識するまで。要は
・現象は「単に発生する」。(「世界とは事実の総体である」。)
・ポジティブであれネガティブであれ、それに「意味/評価/価値」が付与されることがあるならば、それは「人がそれを認識した瞬間」だ。(「人が存在せず、誰もそれを認識しない」という仮定においては、諸々のことは「存在しなくなる」。)
てことです。
更に
・四次元座標系において「今ここにいる俺」は一意に定まる具体的な「俺」だ。(かつ、連続的に変化し続ける。)
・よって、「今ここにいる俺」の「思ったこと/感じたこと/考えたこと」も、「一意に定まる具体的な『それ』」だ。(かつ、連続的に変化し続ける。)
例えば「考えたこと(名前空間:今ここにいる俺)」という枠組みを想定すると判り易い。
・「連続的に変化し続ける」ので、例えば昨日と今日で差異があっても、それは自然なことだ。(勿論そう劇的な変化が頻発するものではないが、可能性としてはアリだ。社会的にどうこうはまた別の話。)
・「俺」に閉じた場合でそうなのだから、「俺とお前」で考えた場合には「いろいろ違いすぎ」、従って「俺とお前は原則的に相互に理解できない」。(俺はお前を誤解するし、お前は俺を誤解する。)
……ちょっと後半は脱線。軌道修正します。
・トラブルは常に具体的なものだ。(したい「何か」と妨げる「何か」がある。)
新しいPCをセットアップしたらネットワークに繋がらない。
→tcp/ipの設定は? LANケーブルは? ファイアウォールは?
○○の部品の調達が遅れている。納期までに予定の数量を揃えることが出来ない。
→遅れの原因は? 代替の調達手段は? 納期または数量の調整は効くのか?
・夢には「強度」がある。具体的な「強い夢」は困難でも叶う可能性があるが、漠然とした「弱い夢」はまず叶わない。
小説家になりたい。
→まず無理。(「小説家になる」の定義は? ジャンルとか規模とか期間とかその他色々。)
推理小説作家になりたい。作家としての収入だけで食っていきたい。
→出版不況で厳しいんだろうけど、十分に上達すれば道は開ける、かもね。(練習あるのみです。)
トラブルの話について補足。
LINUX板とか自作板での話の流れを想像してもらっても良いかと思います。「○○しようとしたらエラーになります→エラーメッセージをそのままコピペしろ。ネットワーク・ハードウェアの構成を書け。ソフトのバージョンを書け。行った手順を省略せず全て書け。」とか。
一般論としての確認点は勿論あるものの、「今そこにあるトラブル」は抽象的なものではありえない、ってことですね。(その時点で原因が判明していないとしても、最終的に原因が判明しなかったとしても。)
夢の例について補足。
前者は、奇跡的な縁か幸運か才能か、によってそれが実現される可能性はゼロではないが、何れにせよ「俺」が介入する余地がないという点に注意。「誰か俺を小説家にしてくれねーかな」と云うに等しいです。(天の神様が夢を叶えてくれるとイイネ。)
後者は、相対的に具体的になった結果、「とりあえず道が開けた」点に注意。「かなりの獣道っぽいけどそれでも行く」か、「もうちょっと整備された道を探す」かの決定権は俺にあり、その決定の責任は誰でもなく俺にある訳です。ドボンしても恨みっこなし。
前者の方がまぁ、確実に「楽な生き方」ではあると思うよ?
「他の色々なこと」は、こういう「世界の認識の仕方」から来ていると、自分では認識しています。(だから「他のこと」の前にこれを書いた。)
「だから何」ってことについては、……まぁ、追い追い。
表題は無駄にDA。中身とは関係ない。
前回の「私見」書いてからしばらく空いてますが、いや「書くことがない」とかそんな理由では全くなく、寧ろ「関係あることが沸きすぎて自分の中で整理が付かない」状態で、……だったんですが、なんだか判りませんがこないだ突然理解が啓けました。
今まで俺は、「それら」は「相互に微妙に関連しあったネットワーク風な関係」と思っていたのですが、そうではなく、どうやら関数「俺()」に任意の引数を与えた結果であるらしいよ、と。(例えば前回のは「俺(サイト論)」ね。)
で、関数「俺()」は「すごい考え方」でいうところの「すごいOS」を極度に俺ナイズしたもの、に、結果的に近いのかなぁ、と思います。(ああいや「俺が凄いかどうか」は置いておくとするならば、だよ。)
固有のタームを使わないなら、agileでモヒカンで、でしょうか(モヒカンは固有じゃねぇのか、ってのも置いときます)。
ここでいう「極度に俺ナイズ」は、要するに
・プロジェクトとかマネジメントとかとは切り離す
・いちオタが「如何にオタ的に快適に生きるか」に最適化する
ですかね。
でね。
そうであるならば、理念とか思想とかを直接語るより、適当な話題について俺()に処理させた結果を出力した方が、結果的に判り易いんじゃねぇかと思った訳ですよ。
以下は皆、「俺的にはかなり近い話題」です。(順は無茶苦茶不同です。)
○ミスチル最高
○結婚なんかしなくて良い
○ヲタが「雑談が苦手」という理由
○俺は正しい/俺は間違っている
○データベースは結論を出せない
○「より多くの可能性を残すこと」は重要ではない
○「ゲーム批評(の方針)」批判
○「名前空間」重要
○ディスコミュニケーション萌え
○責任の所在
近いうちに何か云えたらいいな。(これを公開することで自分を追い込むのもこのエントリの目的。)
……ああいや、でも、「次」だけはもう決めてるのです。
「この世には、『具体的でないもの』など何もないのだよ、関口君。」です。
(下手するとこれ一本で他の全てのエントリが不要になるかもという……。書いてみないと膨らみ方転がり方が読めないけど。)
ええと、(多分)十分に自分を追い込んだので、寝ます。
多分「何度目か」だと思う。(「書いたけどupしないで消し」とかやってるから、俺の記憶にあるよりは少ないかもしれない。)
前提として、「いち個人が」です。そのサイトを離れても知名度のある人はまた別。
それは徹底的に主観的なものであるべきです。
(それが「良い」「悪い」については議論しません。「『事実としてそうだ』と俺は認識している」という話です。)
「何処の誰かも判らない個人が認定する『客観的なレベルの高さ』」なんて、ぶっちゃけ全然意味も価値もないのです。(あると思っているのは当の本人だけ、です。)
例えば道ですれ違った人に何かを滔々と語られたとして、聞く耳持ちます?
例えば「2chで『証拠』を並べながら『客観的な批評』を展開する長文を見かけた」として、「根拠が書いてあるから公平だろう」と思って読みますか?
「WEBで語る」ということは、殆どそれと同じことです。
少なくとも「その人はどんな人で」「何を見て・どういう理由で」「どう評価したのか」、という3点については相応に(どれも必須ではないけれど)担保されている必要があります。そうでなければ、わざわざ時間をかけて「その語り」を読む動機付けに欠けます。
「自分の言葉が誰かに届くことを期待するのなら、その言葉が出てくるまでの経緯と理由を明らかにするのは必要条件だ」という話です。
(※コミュニケーション成立を考えるなら、ムラ社会的に「なんとなくOKになるような言葉」を選ぶという選択肢も極めて有力ですが、俺的に論外です。それでは、「話が通じたその先」への道がない。)
表現を変えると「『その語り』を読む人を想定したとき、その人にとって『いち個人以上の具体的な誰か』でなければ、そもそも読んでもらえない」ということです。
勿論「無色透明の何処かの誰か」から「此処に居る私」になると、「こいつとは趣味が合わんな」「こいつの価値観は気に入らんな」で去ってしまう人も居るのですが、それを避けようとするのは、強い言葉を使うと「傲慢」です。高望みも大概にしなさい、です。(対偶を取ると「全ての人に好まれる私」ですよ?)
そして逆に、「此処に居る私」を認識してなお「語り」を聞いてもらえたならば、その段階では「良い/悪い」「面白い/つまらない」のたった一言ですら、(場合によってはそれで十分な程に)十分な意味が伝わると思うのです。(だからといって敢えて不親切に判り難く語る必要はないですけど。)
別な話。
客観的で公平な語りが(仮に)なされたとして、「それが本当に客観的・公平であるならば、そもそも読む価値はあるのか」という点も、個人的には疑わしく思っています。
それって「議論の余地がない」ってことですよね? 「見に行ったら、受け入れるしかない結論が置いてある」という状態。(正直想像つかねーけど。)
「それがどんなものか」という興味は確かにあるけれど、継続して見たいと思うのかな、俺は? (正しい答えがあったとして、得てして「ふーん」で終わっちゃうもんなんですよね。)